[再掲]
さて、「運」についてまた少し解説したいと思います。
横綱レベルの人は「自分は運がいい」と思っていることを前のエントリーで書きましたが、では我々のような凡人はどうすれば「運」を上げられるのか、ということが問題になってきます。
ところが私が調べた限りでは、どうやら「運」は誰にでもつけられるものみたいなのです。
そうなると、その方法を知りたくありませんか?
その前に、「戦略はいかに難しいのか」という話を少し。
戦争というのはクラウゼヴィッツの言うように軍事的な手段で政治的な目標を達成する作業なわけですが、いざ戦争が勃発すると、政治家と将軍の間で必ず衝突が起こるものだからです。
つまり政策と軍事の間の架け橋となる「戦略」を成功させるには、戦略家はあまりにも多くの要素(政治、経済、軍事、兵站、プロパガンダなどなど)をバランスよく考慮しなければならなくなるわけです。
もちろんこのような難事業に対処するには、相当な努力をして命を削りながら真剣に準備したとかいう人が大半なんですが、それでも「勝負」なわけですから、「勝つ人」と「負ける人」とに結果がハッキリと出てきます。
ところがこのような「超人間業」とも言えることを、過去にはなぜか不思議なことに何度も成功させて勝利してきた人々がいるわけです。
その中で私が例にあげたいのは、やはり東郷平八郎元帥ですね。
彼は日露戦争の対馬沖海戦で旗艦三笠に乗り、連合艦隊司令官としてロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させたました。
もちろん世界の海戦史上でもこんなパーフェクトゲームを指揮して成功させた人物は珍しいのですが、面白いことにこの人は「運が良いから」という、いわば「非合理的」な理由で連合艦隊を指揮することになったんですよね。
そういえば維新前後に薩摩が戦った戦では、なぜか東郷が指揮した戦いでは常に勝っております。つまり彼は
自他ともに認める「運がいい人」だったのです。
私はこのような運の良い人物が好きで、彼らに共通しているのは何かと色々と探してみたのですが、一つの結論として言えるのは彼らが「自分は世界一運が良い」と心の底から信じていた、という点だったのです。
いや、これは少し言い換えたほうがいいかも知れません。むしろ彼らは、
「自分が
世界一運が良いのは当然」
と思っていたのです。
ここで一つ気をつけていただきたいのは、彼らはこれを「自信過剰的」もしくは「ナルシスト的」に思っていたのではない、ということです。むしろ彼らの中では、
「自分は世界一運がよいことを
知っている」
という
やけに落ち着いた感覚が一番それに近いのかも知れません。
つまり彼らは我々凡人のように「努力して幸運だと思う」とか「強い確信を持つ」というよりも、どちらかといえば、そのような考え方が
自然に身に付いていて無理がないと言ったほうが近いと思われます。
「じゃあ俺たちみたいな凡人には横綱レベルになるのは無理じゃないか!」
と考えるかたもいるかも知れませんが、まだまだここで諦めないで欲しいのです。
なぜならどうも我々にもこのような考えを身につけることができそうなことを、あの大哲学者のニーチェ先生が教えてくれているらしいからです。
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私はカナダ時代に哲学の授業をかなり多くとったことがあるのですが、その授業の時に横綱レベルの人になる方法のヒントのようなものを教わったことがあります。
その時に使われたテキストの「偶像の黄昏」の中に、「原因と結果の混同」という逸話が紹介されていたのです。
ニーチェはこの中で、彼が生きていた当時にヨーロッパでベストセラーになっていた「小食ダイエットで長生きする」という内容の本に対して色々と批判を展開します。
このベストセラー本を書いたのは、小食で長生きをしたどこかの国の老人なのですが、この人はこの本の中で「ワシはそれほどメシを食わなかったから胃腸に負担をかけることなく長生きできたのじゃ」と論じていたらしいのです。
ところがニーチェはここでこの老人が「原因と結果を混同している!」として徹底的に批判します。
どういう風に批判したのかというと、ニーチェは
「この老人は
もともと長生きできる体に生まれたから長生きできただけであって、たまたま小食であっただけにすぎない。だから他の人が小食をマネをしても長生きできるわけではない!」
と言ったのです。おわかりになるでしょうか?
これをもうちょっと解説すると、普通の人は原因と結果の流れ(因果律)というものを、この長生きの老人のケースでは
小食 → だから長生きした
と理解しているわけですが、ニーチェの場合はその全く逆で、
元々長生きする人だった → だから長生きした(たまたま小食だった)
と見ているわけです。
ここまでわけのわからないことを書いてしまいましたが、実はこのニーチェの分析というのは、我々凡人が「運」を上げるためのヒントを教えてくれているようなのです。
ではこのニーチェの分析から何がわかるかというと、我々も
「運」を上げたいと思った場合は、あえて原因と結果を混同させてしまえばよい、ということなのです。
何をわけのわからないことを言っているんだ?といぶかしがっていられる方もいらっしゃると思いますが、実はこれを簡単にいえば、
「
運を上げるためには、まず“自分は運がよい!”ということにしてしまう」
ということなんです。おわかりいただけたでしょうか?
ようするにここで起こっていることは、
「良いことが起こった!」 → 「俺は運がいいなぁ」
という因果律の流れなのではなくて、その逆に、
「運がいいなぁ」 → 「良いことが起こる」
という流れにするということです。
「そんなの信じられっか、アホ!」と思うかたがいるかも知れませんが、実はこういう考え方は日本古来から伝わることわざの中にもあります。
たとえば一番わかりやすい例だと、
「笑う門には福来る」
というのがありますが、これは一般的な
「福がきた!」 → 「だから笑う」
という因果律なのではなくて、その逆の
「まずは笑っておく」 → 「そしたら福がきた」
という因果律を働かせているわけです。これはその逆の「泣きっ面にハチ」という例でもまったく同じメカニズム(泣く→ハチに刺される)です。
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ということで、「運」を上げて横綱レベルの人間になるヒントを簡単に説明しましたが、おわかりいただけたでしょうか?
どうやら我々の運を上げるために最適な方法は、
何はともあれ、まず真っ先に「俺は世界一運が良い」ということを心の底から信じてしまうことらしいのです。
ここで参考になるのは、こちらでは哲学の授業でも使われることの多い、キアヌ・リーブス主演の「マトリックス」(英語では“メイトリックス”と発音する)という映画です。
この中でローレンス・フィッシュボーン演じる「モーフィアス」という役の人物がおります。かれはヒーローであるリーブス演じる主人公「ネオ」に対して、悪役の「エージェント・スミス」と戦えるように訓練するんですね。
この彼が、ネオに武術を教えるシーンの中でなかなか上達しないと愚痴をこぼすネオに対して与えたアドバイスというのが
「自分がすでにできているということを、
知れ」
というものなんですね。カッコいい・・・。
私は個人的に色々と調べてきたのですが、どうやらこの「知る」という感覚が、横綱たちが感じている「俺は世界一運が良い!」という感覚に一番近いのかも知れない、と感じております。
そこで一言。
みなさん、運を上げたい場合は
「自分は世界一運がよい」ということを知りましょう。
ここまで書いてまた時間切れです。続きはまた明日適当に書きます。