[再掲]
さて、私はここ一ヶ月ほどの間に「横綱」レベルの人間になってこれから迫り来る大恐慌をなんなく乗り越える戦略を私なりにまとめてきたつもりです。
ところが成功法則や戦略においての最大の問題は、これらがいくら優れたものであっても、実際に実行に移した場合に、「成功する人」と「失敗する人」という差が出てくるという点です。
もちろんそれにはいくつかの理由があるわけですが、なぜ成功する人と失敗する人が出てくるのかというと、一つの原因としてはこのような「戦略」や「法則」のようなものがそもそも難しいものだと言えるのです。
ではどう難しいのかというと、以下のように四つのポイントがあるかと。
1、敵(もしくは状況)の存在
当たり前ですが、戦争を戦うということは、敵という相手がいるということです。これがとくに厄介でありまして、いくらこちらが緻密な戦略を立てていても、文化の違いや情報の読み間違いなどのせいで、相手が全く予想外の動きをしてくることがあるのです。
また、実際に戦闘がはじまってもそれがどういう状況になるのかはわからないため、ますます予測不可能になるわけです。
2、考慮する要素(変数)がやたらと多い
戦争には武力による戦闘だけでなく、経済、社会、文化、権力構造、兵站、倫理、地理、国民、情報などなど、とにかく考慮しなければならない面が無数にあるわけです。これらをすべて考慮しながら戦争に勝利をもたらすような戦略を考えるというのは、いかに至難のわざであるか、おわかりいただけると思います。
3、主観的な「価値判断」が含まれる
これは以前のエントリーでも書きましたが、戦略を決める時に最も重要になってくるのは、「何を捨てて、何をとるのか」という価値判断なのです。しかもこのような判断というのは「完全に客観的」であるわけがなく、国ごとの政府の考え方や文化なども影響されてくるので「科学的」に戦略を決めるのは完全に無理。
このことからも、戦略はサイエンスではなくて主観的なアート(術)であるということが言えます。
4、実行が難しい
戦略というのはいざそれが決まったとして、それを実際の戦争で実行するのは本当に難しいんです。クラウゼヴィッツはこれを「戦略はシンプルだ、しかしその実行は難しい」という風に述べておりますし、彼の提案した「摩擦」や「偶然性」、そして「戦争の霧」などのように、計画面ではなく、実行面での障害は山ほどあるわけです。
こういう風に考えると、クラウゼヴィッツという19世紀の初期に死んだプロシアの士官は、やっぱり相当深いところまで見抜いていたことになるわけです。
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これは私の「横綱論」にも通じてくる重要な問題なのですが、本ブログでこのような成功戦略のような理論を提唱したとしても、まず第一に
「この理論に納得してもらう」
という障害があります(笑)
しかもこれをクリアーして信じて納得してもらったとしても、第二の障害として
「それをいざ実行に移せるのかどうか」
そして第三に
「それを継続させることができるのか」
という障害が次々と表れてくるのです。
ちなみに私が今まで見てきた様々な成功法則の最大の問題点は、この第三の障害である「継続性」、つまり「続けてやることができるか」という部分にあると思っております。
本ブログでも紹介した、「困ったことが起こったら学んでいると考える」というものや「困ったらネタになると考える」とか「世界一ラッキーであることを知る」などというのは、いくらその瞬間はできたとしても、
継続してやらないと効果がないのです。
そして何度も言うようですが、一番重要なのは、戦略を実行する本人の「考え方」、つまり
「ソフトウェア」を変えなければならないという点ですね。
これは今まで「失敗」ばかりしてきた人間にとっては習慣を変えなければならないことを意味するわけですから、非常に困難なことになるわけです。
結論としては、結局は
戦略でも成功法則でも、徹頭徹尾、それを実行する受取り手側の思考と実行力にすべてのカギがある、ということになります。
もっと単純に言えば「実践あるのみ」なんですね。
実は究極の成功法則(ユダヤ人の成功の秘密?)のようなものは、ネットや本などで本気で探してみれば、いくらでも見つけることができます。
しかもそれらは驚くほど単純なものばかり。なぜならクラウゼヴィッツのように、「戦略はシンプル」だからです。
ただしそれを見つけることができるのかどうか(リサーチ力があるかどうか)、本物であることを見抜けるのかどうか、そしてそれを実行し、なおかつ継続させ、そして最終的に成功できるのかどうかというのは、
結局のところは実行する本人次第なわけです。
だから「その実行は難しい」となるわけでして、それを実行できるのがクラウゼヴィッツの言う「天才」となるわけです。