お知らせです。
横綱論の「小冊子版」ですが、臨時発売していたものが多少余りが出ましたので、またご希望の方に販売させていただきます。
本ブログのエッセンスがつまった小冊子をまだ読んだことのない方は、このチャンスにぜひ。
リーダーに必要な「運」とは何か?そしてそれを上げる方法論は存在するのか?
数々の哲学・宗教・思想・セルフヘルプ本などを読み込んだところから浮かび上がってきたエッセンスを凝縮したこの「横綱論」と、そこから編み出された「運を上げる方法」を簡潔にまとめたパンフレット、好評発売中。
私のGメールのアドレス(masa.the.man●gmail.com:●の部分に@を入れる)まで、
「横綱論2(もしくは1&2):小冊子希望」というタイトルと共に、
■氏名
■住所
をお書き込みの上、お申し込み下さい。
ただし小冊子版は数に限りがあるため、売り切れ次第ご案内を停止させていただきます。ご容赦下さい。
[再掲]
いろんな悪いニュースが世界中から流れてきますが、このブログをごらんの方はこれからの大恐慌にどう対処すればいいのかわかっておりますよね。
「リラックス」と「冷静」です。
そのようなことを考えながら、また新たな「横綱の特徴」を発見してしまいました。
それはどういうことかというと、
「目をじっと合わせることができる」
ということ。
すべての横綱に共通しているんですが、彼ら彼女らは、なぜか長時間人と目を合わせていてもぜんぜんへっちゃらで、ジーっと相手の目を見つめることができるのです。
ところが私の経験上、長い時間他人と目を合わせ続けていられない人間であればあるほど運のレベルも低い、ということも言えそうなのです。
なぜそうなのかは私もよく説明ができないのですが、どうやら横綱というのは自分に自信があり、相手も(それがどんなレベルの人でも)完全に受け容れているので、目をジーっと見つめても平気らしいのです。
このブログを読んだ方は、実際に周りの人を見て確かめみててください。けっこうハズレはないはずです。
自信のない人、運の低い人(=大恐慌に巻き込まれて大失敗してしまう人)というのは、相手の目をじっと見ることができませんので。
人間って面白い。
[再掲]
「横綱」の話の続きです。
横綱レベルの運の強い人たちは、往々にして「他人がどうなろうと関係ない」という態度をとりがちだということは、以前お話した通りです。
もちろんこれは、彼らが冷酷だからこう思うのではなくて、むしろ我々とは全く別の考え方を持っているためにそう考える、ということなんですが、それは彼らが
「人間は絶対に困らない」
と信じているからなんですね。
しかし凡人の我々にはなぜ彼らがそのように考えられるのかさっぱりわかりません。現にこういうことを調べている私でも、なぜそのような考え方をするのか最初は意味がわかりませんでした。
ところが色々と話を聞いているうちに、彼らがなぜこういう考え方をするのかがなんとなくわかってきたのです。
もちろん彼らのような「横綱」レベルの人間たちも生身の人間ですから、何か困難な事件などが起こると、とりあえずは「困ったなぁ」と感じることはあるみたいです。
ところが彼らが我々とちょっと違うのは、この「困った」というプロセスの捉え方なんです。
では彼らは「困ったこと」をどういう風に捉えているのかというと、その答えは、
「困っているのではなくて、学んでいる」
という風に考えるのです。
私はこれを初めて聞いた時には全く意味不明だったのですが、よく考えると「なるほど」と納得できました。
これをわかりやすくするために、まずは英語の学習の例で考えてみましょう。
我々は学校で英語を習います。日本では義務教育である中学校から習い始めますよね。
ところが中には英語が苦手な人がいて、とにかくもう英語は嫌だと思って、中学校を卒業すると全く勉強しなくなる人がおります。
しかもこういう人に限って、このグローバル化の時代でも一生英語を使わずに日本語だけで困ることなく楽々過ごしたります。
ところが中には日本であまり英語を勉強をしなかったために「困る人」が出てきます。たとえば急に外人に道を聞かれたりとか、外国でスピーチ(?)を頼まれたりとか。
しかし実はこの「困った人」というのは、客観的に横綱の目線で考えてみると、実は全く「困っていない」のです。
なぜなら、「横綱」レベルの考え方から言えば、この留学生はこの「困った時」が、一番「学べる時」だからです。
彼らにすれば「困った時が学び時」ということなので、困ったような事態が起こっても、「これを越えた時に大きな学びの喜びがある!」という感覚を持っております。
そうなると、実際に本当に困るようなことが起きても「今は勉強の最中なのだ、徹底的に味わおう」という心の余裕を持てるわけです。
しかもそういう心構えができてくると、不思議と「本当に困ったこと」というのは起こらなくなるみたいなんですよね。おわかりいただけたでしょうか?
ここまで書いて時間切れです。
[再掲]
また「横綱」について少し。
数日前のエントリーに対するコメントである方に
>横綱レベルの人はトラブルを軽々と飛び越えていきますが、これはやはり自分のやりたい事をしている人が到達しやすいのでしょうか。私を含め多くの人が「○○をやりたいがそれだけで生活できる自信がないので他のことで収入を得ている」と思うのですが。
というご質問をいただきました。ありがとうございます。
私の個人的な研究結果(?)から見ると、「横綱」レベルの人たちには仕事に関して大きくわけて二つのアプローチをとっているように見受けられるのです。
この二つのアプローチのうち、まず一つ目というのは、
1、「徹底的に“好きなこと”や“得意なこと”だけしかやらない」
というものです。これは一番わかりやすいアプローチですが、人間は当然のように「好きなもの」や「得意なもの」だったらいくらでも熱中してできますで、やればやるほど成功してしまうことになります。
もちろんここで問題なのは「好きなこと」や「得意なこと」が商売や金儲けに直接結びつかないパターンでして、運が悪いと「単なる趣味」や「マニア」として終わってしまうことになります。
ところが「横綱」の人は運がいいわけですから、変な趣味でも商売にしてしまうだけの力があるわけですね。そうなると不況などに関係なくいつでも成功するビジネスモデルを築いてゆけるわけです。
それともう一つ。
彼らが仕事など、自分の人生にとって重要な決断を下す時に必ず基準にすることは、
「
賃金の上下に関係なく、常にワクワクするほうを選ぶ」
ということみたいですね。なぜだかわかりませんが、結果的にはワクワクしていたほうが後になって収入をはるかに増大させることにつながっているみたいなのです。
===
ところがこれとは正反対のアプローチがあります。これは意外なことに
2、「頼まれたことを徹底的にやる」
というものです。
前者を「積極的アプローチ」とする、こちらは「消極的アプローチ」とでも言うんでしょうか。しかしどちらにも共通するのは「徹底してやること」という点ですね。
もちろん「頼まれたことだけやっていたら好きなことができない!」
と考える人もいるかも知れませんが、「横綱」の人々はなぜかこの部分についても全く心配しておりません。なぜかというと彼らの中では
「自分にできることしか頼まれない」
という強い信念があるからみたいなのです。
たしかに彼らは「困るのではなくて学んでいる」と考えたり、「困ってもネタになる」と考えているわけですが、これには私が以前ここのブログで紹介したことのある「戦略のパラドックス」のメカニズムも少し関係してきます。
具体的にどういうことかというと、
「頼まれる(=できること)」→「努力する」→「できる」→「楽しくなる」→「また頼まれる」→「成功する」
というポジティブなサイクルが生まれてくるからですね。
この「頼まれること」をする時に「横綱」の人々が常に心がけている重要なことがどうやら一つだけあるらしいのです。それは
「
頼まれても絶対に不平・不満を言わない」
ということです。たしかにこうなると、頼んできた人にとって次回からも仕事を頼みやすくなり、それが仕事の連鎖をどんどん生んで、気がついたら大成功しているということになるみたいです。
ここでの重要なのは「流れに身を任せる」ということみたいですね。
もちろんこういうのは素人にはちょっと不安ですが、達観した「横綱」たちは全然平気で、むしろ
次に何を頼まれるのかがわからないため、逆に人生が面白くなるという効果があるみたいです。
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どちらのアプローチを選ぶかはみなさん次第だと思われますが、
とにかく大切なのは「徹底してやること」みたいですね。
もちろん体を壊すまで徹底してやってはいけませんが、「横綱」たちのように「天命」として与えられたような仕事をしている人たちというのは、なぜかきつい仕事をしてても体調を崩したり病気になったりすることはないみたいです。
まあ「天から与えられた仕事」なわけですから、逆にこの仕事をしっかりとこなす限りは天が健康を与えてくれる。という風に考えることもできますね。
ただしその逆に、
仕事で体を壊しがちの人は「天命の仕事」をしていない、ということも言えるかと。
リクエストがありましたので皆さんの判定をお願いします。
久しぶりなので以下のようにカテゴリーを列挙しておきます。
全体運(意識のレベル):序の口<十両<前頭<小結<関脇<大関<横綱
仕事運:F < C- < C < C+ < B- < B < B+ < A- < A < A+
みなさんの予測を本エントリーのコメント欄まで書き込んで下さい。
答え合わせは14日(土)の夜ということでいかがでしょうか?